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昨日の荒れた天気が過ぎ去り、今日はまだ風の冷たさが残るものの比較的穏やかな一日となりました。暦が新しい月に変わる頃には最高気温が20度近くなるようで、待ちわびた春が一気にその歩みを加速させる事になりそうです。
地震の報道が原発の事に集中するようになりました。早くも今年の夏の電力不足が懸念されています。世界でも屈指の大都会「東京」もその電力不足に悩まされそうで、大都会の繁栄がいかに地方にゆだねられているかが嫌と言うほど思い知らされる事となっています。 私がいつも購読している建築コラムに次のような写真が掲載されていました。この写真は三陸に多く見られる石碑で、津波被害を警告する石碑なのだそうです。この石碑には、 高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津浪、此処より下に家を建てるな 明治29年にも昭和8年にも浪は此処まで来て部落は全滅 僅かに前に二人後ろに四人のみ幾歳経るとも要心あれ という言葉が残されています。なんとも痛切な警告です。 こうした先人の教えは今回の地震では活かされなかったのでしょうか? 明治三陸津波の被害の後に高所化が進まなかった理由として、 「海岸近くに住んでいなければ家業である漁業が成り立たない、生きていけないという実生活上の都合に加えて、先祖代々の屋敷に対する思い入れと執着」という理由と、加えて「そうたびたび津波被害があるものではない」、という意識があるようです。 指導者に先見の明がある一部地域では集団的高所移転を試みたものの、全体的には不成功に終わり、三陸の村々の多くは元の低地に再興することになり、そして37年後、昭和三陸津波で惨劇を繰り返すことになってしまいました。 昭和三陸津波の被害においては、明治三陸津波の浸水線より高いところへの住居移転が、行政の方針として明示され、今度は集団移転に成功しています。田老のような移転する高所のない場所では、堤防の建設という選択をとり、これは後に「万里の長城」と呼ばれるような巨大堤防となりました。それでもまた、大きな被害が起きてしまったのです。 物理学者・随筆家の寺田寅彦の有名な言葉に「歴史は繰り返す。法則は不変である。 それゆえ過去の記録はまた将来の予言である」 というものがあります。重い言葉だと思います。歴史の教訓をいかに活かすか・・・常に人類が向かい合わなくてはいけない課題なのです。 来月、「フジヒロ通信」を皆様の所にお届する季節がやって来ました。前回、お届けできなかった 「お客様訪問」が復活します。今回は5年前に完成した岡山県井原市のK様に登場をお願いし、今日の訪問となりました。 K様の奥様の実家は私が4歳の時亡くなった祖母の実家になるのですが、当社に御縁をいただいた経緯や、ソーラーサーキットとの出会い、見学させていただいた水呑町のI様のことなどなど・・・色んなお話を伺う事ができました。 徳島の仲野林業、仲野社長さんが開発した浮作り仕上げの杉フローリングを始めて採用させていただいたお宅でもありますが、5年の歳月を経て、美しく経年変化を遂げています。 完成した時はまだ赤ん坊だった娘さんもすっかり大きくなり、弟さんもできました。この弟さん、なかなかの役者です(笑) 詳しくは来月の「フジヒロ通信」に掲載いたしますのでお楽しみにして下さいね。良かったこと、反省したこと、今から建てようとされている方にもアドバイスがありますよ。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ
by k-fujihiro
| 2011-03-26 23:39
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