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雨の少なかった春から一転、とても良く降るようになりました。午前中は結構気温も湿度も高く、陽射しも暖かでしたが、雨が降ると気温もグンと冷え込んで来たように思います。RCCのラジオで、スタジオの湿度が90%を超えて蒸し暑い、って言ってました。こんな季節の変わり目は疲れを溜めないようにして、体調管理をしないといけませんね。
当社と同じ立場でソーラーサーキットの家に取り組んでいる会員工務店さんが被災地のエリアにもおられます。私たち会員に届けられるメルマガにそんな工務店さんから届けられたニュースが掲載されていましたので紹介しますね。担当された工務店の方の思いが伝わって来て、私たちも頑張らなくては・・・って気持ちです。 (宮城県仙台市・大東住宅 高橋様より) 「SCの家で本当に良かった。」 震災後一月余りが過ぎ、最近まで家族の誰もが口にした言葉だ。 家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家。こんなにも早く、こんなにも大きな未曾有の大震災に直面するとは、予想だにしなかった。 内陸部の我が家では、余震も含め6強の地震に2度も見舞われたが、幸いにも被害という被害はなかった。 それでも、電気、水道、ガスなどの復旧までに1週間~10日を要した。オール電化だったが、そこはSCの家!いくら寒くても2~3日は問題ないとは思っていたが、それ以上となるとやはり・・・・石油ストーブをスタンバイさせた。しかし必要はなかった。 3月とはいえ、まだ寒い日が続いていたが、地震後3日間は20℃を下回る事はなかった。その後も、室内は18℃前後をキープ!リビングの室温が一番低かったのが、7日目早朝の15.6℃でした。(朝の最低気温は-1℃) 気になる換気も、窓を全開し空気の入れ替えを日に2度ほど行ったが、建物自体の輻射熱によって、室温は変わらず、まったく問題はなかった。 その間、多くの親戚や知人が訪れたが、クロスの割れひとつない頑丈さと、無暖房でも十分な暖かさを保つSCの家に、来る人、来る人が驚いていたのは言うまでもない。 そして、不安やストレスを感じるこの時期、余震の恐怖や、いてつく寒さを感じる事なく、ローソクの明かりのもと、家族が明るく寄り添い、生活を送れた事が何よりの幸せだった。 「住み心地のいい家」は非常時の生活の支えとなり、何よりの備えとなるばかりではなく、人として最も大事な思いやりや、優しさの心を失わずいられるという事。家族の愛や絆を深める意味においても、非常に大事なことだと今、痛感している。 ところで、私たちは目に見えないものに何かしら恐怖感があります。それは神がかり的な物に対しても同じです。福山出身の作家、井伏鱒二さんが書かれた「黒い雨」では原爆の後の放射能の恐ろしさが嫌と言うほど表わされています。最近では「福島」と言うだけで差別を受けている方がいると聞き、改めてその感を強くしました。 私の娘が大門中学校に在学中、PTA会長をしていたのですが、御縁いただき戦艦大和から奇跡の生還をされた八杉さんの講演会を開いた事がありました。その八杉さんは大和から生還ののち、被爆間もない広島市で戦後の後始末をされた事があったそうです。夜は路上で雑魚寝・・・と言う状態だったそうで、そこで二次被爆を受ける事となるのですが、それがために福山に帰られた後も「被爆者」のレッテルを貼られ、縁談全てが破談になり、独身のままでいなくてはならない胸のうちを話された事がありました。 今日の朝日新聞の「天声人語」に目を惹かれました。 地震、津波、原発の被害・・・本当の終わり、っていつ来るのでしょう。 井伏鱒二が「姪(めい)の結婚」という小説の雑誌連載を始めたのは1965年1月だった。連載途中でこの作品が「黒い雨」に改題されなかったら、放射能の怖さを象徴する一語は、これほど流布しなかったかもしれない 広島に原爆が落とされた後、放射能を含む黒い雨が降った。主人公の矢須子はその雨に打たれ、体をむしばまれる。22年前、今村昌平監督の映画で主役を演じたのが、亡くなった田中好子さんだった。見事な演技で映画賞の主演女優賞を総なめにした 田中さんの早すぎる死を悼みつつ、手元の小説を読み直してみた。矢須子に向けられる偏見や差別への、作家の抑えた憤りが底を流れている。時代も事態もむろん異なるが、進行中の原発禍を思い合わせてしまう 福島県の人が旅館やホテルで断られた。他県へ避難した子が学校で心ないことを言われた。などと伝え聞けば、憤りより先に情けなくなる。風評被害も深刻だ。「偏見は無知の子どもである」。箴言(しんげん)の突く真実がやりきれない 「もういいよ。福島県人は福島県人だけで生きていくから」という嘆きが、東京で読んだ声欄にあった。被災地へ寄せる全国の思いも、ときに1人の不届きでかき消える。二重三重の罪深さだと心得たい 「天国で、被災された方のお役に立ちたい」と、泣かせる言葉を残して田中さんは旅立っていった。キャンディーズのスーちゃんにあらためて惚(ほ)れ直した人は多かろう。記憶に鮮やかなあの笑顔を人界の不埒(ふらち)で曇らせたくない。 さて、当社の現場ですが、柳津に建築中のO様邸では29日の完成引渡目前で外構工事が追い込み です。今日は生憎の空でしたがフェンスの柱を建てる作業を行いました。 大門町のF様邸です。こちらでは筋交や金物の取り付けを行っています。長期優良住宅の認定を受けての作業で、とても筋交が多く、地震に耐えられる仕様となっています。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ
by k-fujihiro
| 2011-04-27 23:03
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