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本格的に暖かな春が足踏みしています。今日は一日中、雨が降ったりやんだりの荒れた天気の一日となりました。
この欄で政治の事を書くとひんしゅくを買いそうなのですが・・・ 最近は菅さんの身辺が殊のほか慌ただしくなっています。彼の目線はいつもうつろで、不安定な自分自身を象徴するようです。この四面楚歌から一体彼はどんな政治手法でこの難局を乗り切ろうとしてるのでしょうか? 時代は強いリーダーを待ち望んでいると思うのですが、今日の毎日新聞のコラムが目に留まりました。記者が駆け出しの頃の話なのですが、今は亡き田中角栄さんの事を書かれています。 牧太郎の大きな声では言えないが…:今、田中角栄なら 毎日新聞社に入社、新潟支局に配属されて約100日。右も左も皆目分からない新米記者22歳は、未曽有の大水害に遭遇した。 1967年8月26日の夜から雨が降り続いていた。日本海から東西に延びる前線が東北地方の南部から石川県能登半島北部に停滞。南から暖かく湿った空気が前線を刺激して、28日には山形県南部から新潟県北部は大雨になった。新潟県岩船郡関川村で降水量が30時間で約700ミリ。荒川と支流・大石川が氾濫して堤防が各地で決壊。岩船水力発電所も浸水し使えなくなった。 翌朝、関川村は孤立していた。「現地に行け!」という命令に、どうやって行って良いのか?分からない。仕方なく、物資を運ぶ自衛隊のヘリに(ルール違反とは知りつつ)潜り込んで何とか現地にたどり着くと……高さ5メートルもある岩石が田んぼに転がっていた。初めて見た土石流!この時も「想定外」の降雨量と言われ、死者・行方不明百二十数人の「羽越豪雨」は治水対策を根本から覆す出来事だった。 復興に立ち上がったリーダーの一人が地元の衆院議員・田中角栄(元首相)だった。66年暮れ、自民党幹事長を辞任した角さんは形の上では無役だが、日本列島改造を目指す若き党人派のエースだった。 新米記者が驚いたのは、彼の行動力だった。「危ないところから安全なところへ行こう!集団移転しよう!これは公共事業。国から賃金をもらって自分たちの新天地を造るんだ!」と説得した。 1級建築士でもあった角さんは治水はお手の物だった。2級河川を1級河川にする“工夫”で洪水を防ぐ。30年後の1997年の集中豪雨は羽越豪雨と同程度の降水量だったが被害は軽微だった。 角さんは翌68年11月、幹事長に復帰、天下取りに挑むが、地元では「災害に強い男」だった。 あれから44年後の東日本大震災。66歳の古手記者になった僕は、神が我々の英知を試している、と感じた。羽越豪雨とは比べようもないが……復興に「知恵と行動力」が求められるのは同じだ。 混乱は続く。情報発信に矛盾があると人々はネガティブな方を選ぶ。「何かが隠されている?」と思えば「買い占め」にも走る。政治への不信? いま、求められるのは命がけの「知恵と行動力の政治家」。角さんなら何をするだろうか?(専門編集委員) ところで、近く、皆様のお手元に「フジヒロ通信 春号」が届くと思います。この度の通信から専門の印刷屋さんにお願いしました。今迄はカラーコピーでしたが印刷の方がはるかに安く綺麗に仕上がります。 内容も盛りだくさんです。今までは当社からの一方的な報告だけでしたが、この号から御縁をいただいた方の紹介を兼ねて、特典一杯のクーポン券をお付けしました。是非ご活用下さい。 当社の手違いで手元に届かない時はご一報下さい。追って送らせていただきたいと思います。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ
by k-fujihiro
| 2011-04-18 23:49
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