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ブログ引越ししました。
5月から以下URLに引越ししました。 http://ameblo.jp/k-fujihiro/ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ #
by k-fujihiro
| 2011-05-01 23:57
3月11日以来、日本が世界が大きく揺れています。
それでも時は着実にその歩みを進めています。 今日で4月も終わりで、これからは春、初夏に向け一気に歩みを進めて行く事でしょう。 今日は現在青葉台で建築中のT様御夫妻に当社の工場にお越しいただき杉の床にオスモカラーを塗りました。普段は色を付けずにワックスのみ、と言う事が多かったのですが、今回初めての着色となりました。 写真は「チーク」色を塗っているところです。オスモカラーは厚く塗るとかえって失敗で、出来るだけ薄く塗り伸ばすのがコツですね。腰をかがめての作業でT様、大変お疲れ様でした。与えられて住まうだけでなく、自ら手を染めていただくことでウンと建物に愛着が湧き、より長く使っていただく上で気持ちが近くなることと信じています。 塗り終えると立て掛けて乾かします。 ところで、先日の中国新聞に介護リフォームの記事が出ていましたので紹介します。 身体が不自由になるとついつい外に出ることが億劫になりがちですが、家にほんの少し手を加える事で「出かけよう」と言う意欲が湧き、生きるエネルギーを感じる事ができますね。 アメリカの雑誌、タイムが「世界で最も影響力のある100人」を発表しました。オバマ大統領や、ロイヤル・ウェディングで注目されるイギリスのウィリアム王子とケイト・ミドルトンさんほか、今、世界で最も注目され、影響力のある人物を、たった100人だけ選出し、一人ずつ紹介するこの特集号に、日本人が二人も選ばれました。 その二人とは、桜井勝延さんと菅野武さん。皆さん、このお二人をご存知ですか? 桜井勝延さんは、原発から30km以内の退避措置で支援物資やメディアの取材なども入ってこないエリアとなった福島県南相馬市の市長。Youtube上に、自ら語る11分13秒のメッセージ(SOS from Mayor of Minami Soma City・・・) を公開。「人はお互いに助け合ってこそ人だと思います・・・」などのメッセージが世界へと伝わりました。 また、選出された感想を聞かれ、「私は、市の現状と市民の生の声を伝えただけであり、選ばれるべきは、南相馬市民だと考えます。」とお答えになっています。 菅野武さんは、宮城県南三陸町の公立志津川病院のお医者さん。津波に襲われた病院内で入院患者を階上に避難させ、救助ヘリが到着した後も患者の元を去ることを拒否し、過酷な環境下で治療を続けました。地震から3日後、ようやく奥さまのもとへ帰ってきた菅野さん。それは、ちょうど二人目のお子さんの生まれる直前だったそうです・・・。 桜井さん、菅野さんの他にも、被災地で戦っている人々はたくさん、たくさんいらっしゃいます。自治体関係者、医療関係者、警察、消防、自衛隊の方々、そして、避難所で助け合い、支えあっている被災者の方々。タイムはそうした方々に、「皆さんは決して一人じゃない」、世界中の人々が皆さんを応援しているという意味をこめて、今回、桜井さん、菅野さんを選出してくれた気がします。 それに対して我らがリーダーはどうでしょう?能力のないリーダーには早く辞めて欲しいです。日本国民は被害者です。 明日から当社の現場はお休みになりますが、私は特に予定がありません。 明日は取り敢えず事務所で掃除と図面作成でもしようかな・・・ 5日までお休みをいただいていますがすぐ終わるだろうな・・・ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ #
by k-fujihiro
| 2011-04-30 22:54
まだ少し寒さが気になりましたが、それでも以前に比べればうんと春らしい空の一日となりました。
今日は柳津町で建築中でしたO様邸で入魂祭が行われました。宮司さんにお越しいただき、お祓いをしていただきました。 子供さんたち、自分の部屋もできて楽しそうですね。 おごそかに行われました。 祝詞奏上です。住まわれる御家族皆様の名前が読み上げられました。 午後からは使用説明が行われました。まず、エコキュートからです。とても沢山の機能がありますね。 システムキッチンの説明も行われました。 最後に鍵の引渡を行い、本日の予定終了です。5月3日の引っ越し後の仕事が少し残っていますが、無事ここまで来ることができ、感謝で一杯です。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ #
by k-fujihiro
| 2011-04-29 23:17
昨日伺う予定だった徳島に行って来ました。
青葉台で建築中のT様邸と、6月から取りかかるリフォームで使用する床材をいただくのが主な目的でしたが、仲野林業さんによると、昨今原木が入りにくくなっている、との事で、少し余分にいただいて帰りました。今回の注文も4か月前にお願いしてぎりぎりでしたので、次回はお盆前後にいただきにあがる事をお願いして帰りました。 パイン材も相当品薄のようです。中国の影響が大きいそうで、これからは相当ゆとりを持って注文する必要がありそうです。 朝、4時過ぎに起きて、5時出発でした。少し眠かったですが、頑張って行って来ました。 瀬戸大橋です。 白鳥大内で高速を降り、この山を越えて行きます。 息子さんがトラックに載せて下さいました。 師匠と息子さんです。最近カタログにない品物が注文されるそうで、材料の吟味が大変な様子でした。 曽野綾子さんのインタビュー記事を御紹介します。少し古くなりましたが以前から気になっていたものです。随分辛辣な意見だと思います。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ #
by k-fujihiro
| 2011-04-28 23:34
雨の少なかった春から一転、とても良く降るようになりました。午前中は結構気温も湿度も高く、陽射しも暖かでしたが、雨が降ると気温もグンと冷え込んで来たように思います。RCCのラジオで、スタジオの湿度が90%を超えて蒸し暑い、って言ってました。こんな季節の変わり目は疲れを溜めないようにして、体調管理をしないといけませんね。
当社と同じ立場でソーラーサーキットの家に取り組んでいる会員工務店さんが被災地のエリアにもおられます。私たち会員に届けられるメルマガにそんな工務店さんから届けられたニュースが掲載されていましたので紹介しますね。担当された工務店の方の思いが伝わって来て、私たちも頑張らなくては・・・って気持ちです。 (宮城県仙台市・大東住宅 高橋様より) 「SCの家で本当に良かった。」 震災後一月余りが過ぎ、最近まで家族の誰もが口にした言葉だ。 家族の命を守り、健康で快適な暮らしを実現する為に建てたSCの家。こんなにも早く、こんなにも大きな未曾有の大震災に直面するとは、予想だにしなかった。 内陸部の我が家では、余震も含め6強の地震に2度も見舞われたが、幸いにも被害という被害はなかった。 それでも、電気、水道、ガスなどの復旧までに1週間~10日を要した。オール電化だったが、そこはSCの家!いくら寒くても2~3日は問題ないとは思っていたが、それ以上となるとやはり・・・・石油ストーブをスタンバイさせた。しかし必要はなかった。 3月とはいえ、まだ寒い日が続いていたが、地震後3日間は20℃を下回る事はなかった。その後も、室内は18℃前後をキープ!リビングの室温が一番低かったのが、7日目早朝の15.6℃でした。(朝の最低気温は-1℃) 気になる換気も、窓を全開し空気の入れ替えを日に2度ほど行ったが、建物自体の輻射熱によって、室温は変わらず、まったく問題はなかった。 その間、多くの親戚や知人が訪れたが、クロスの割れひとつない頑丈さと、無暖房でも十分な暖かさを保つSCの家に、来る人、来る人が驚いていたのは言うまでもない。 そして、不安やストレスを感じるこの時期、余震の恐怖や、いてつく寒さを感じる事なく、ローソクの明かりのもと、家族が明るく寄り添い、生活を送れた事が何よりの幸せだった。 「住み心地のいい家」は非常時の生活の支えとなり、何よりの備えとなるばかりではなく、人として最も大事な思いやりや、優しさの心を失わずいられるという事。家族の愛や絆を深める意味においても、非常に大事なことだと今、痛感している。 ところで、私たちは目に見えないものに何かしら恐怖感があります。それは神がかり的な物に対しても同じです。福山出身の作家、井伏鱒二さんが書かれた「黒い雨」では原爆の後の放射能の恐ろしさが嫌と言うほど表わされています。最近では「福島」と言うだけで差別を受けている方がいると聞き、改めてその感を強くしました。 私の娘が大門中学校に在学中、PTA会長をしていたのですが、御縁いただき戦艦大和から奇跡の生還をされた八杉さんの講演会を開いた事がありました。その八杉さんは大和から生還ののち、被爆間もない広島市で戦後の後始末をされた事があったそうです。夜は路上で雑魚寝・・・と言う状態だったそうで、そこで二次被爆を受ける事となるのですが、それがために福山に帰られた後も「被爆者」のレッテルを貼られ、縁談全てが破談になり、独身のままでいなくてはならない胸のうちを話された事がありました。 今日の朝日新聞の「天声人語」に目を惹かれました。 地震、津波、原発の被害・・・本当の終わり、っていつ来るのでしょう。 井伏鱒二が「姪(めい)の結婚」という小説の雑誌連載を始めたのは1965年1月だった。連載途中でこの作品が「黒い雨」に改題されなかったら、放射能の怖さを象徴する一語は、これほど流布しなかったかもしれない 広島に原爆が落とされた後、放射能を含む黒い雨が降った。主人公の矢須子はその雨に打たれ、体をむしばまれる。22年前、今村昌平監督の映画で主役を演じたのが、亡くなった田中好子さんだった。見事な演技で映画賞の主演女優賞を総なめにした 田中さんの早すぎる死を悼みつつ、手元の小説を読み直してみた。矢須子に向けられる偏見や差別への、作家の抑えた憤りが底を流れている。時代も事態もむろん異なるが、進行中の原発禍を思い合わせてしまう 福島県の人が旅館やホテルで断られた。他県へ避難した子が学校で心ないことを言われた。などと伝え聞けば、憤りより先に情けなくなる。風評被害も深刻だ。「偏見は無知の子どもである」。箴言(しんげん)の突く真実がやりきれない 「もういいよ。福島県人は福島県人だけで生きていくから」という嘆きが、東京で読んだ声欄にあった。被災地へ寄せる全国の思いも、ときに1人の不届きでかき消える。二重三重の罪深さだと心得たい 「天国で、被災された方のお役に立ちたい」と、泣かせる言葉を残して田中さんは旅立っていった。キャンディーズのスーちゃんにあらためて惚(ほ)れ直した人は多かろう。記憶に鮮やかなあの笑顔を人界の不埒(ふらち)で曇らせたくない。 さて、当社の現場ですが、柳津に建築中のO様邸では29日の完成引渡目前で外構工事が追い込み です。今日は生憎の空でしたがフェンスの柱を建てる作業を行いました。 大門町のF様邸です。こちらでは筋交や金物の取り付けを行っています。長期優良住宅の認定を受けての作業で、とても筋交が多く、地震に耐えられる仕様となっています。 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ 株式会社フジヒロ ホームページでは、施工例、イベント情報、現場見学会などの詳細がご覧になれます。 ↓ ↓ ↓ フジヒロのホームページへ #
by k-fujihiro
| 2011-04-27 23:03
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